日本人なら知っておきたい神様と仏様の違い

神様と仏様の違いは、簡単にいうと、
●お寺に祀っているのが、仏様
●神社に祀っているのが、神様
神社とお寺の見分け方は、
神社には、基本的に鳥居があります。
(お寺にも1%くらい、鳥居があるところもありますが)
ちなみに、仏と仏様は違います。
「仏」とは元人間です。
神様:陽、父性、後押し、お願いごとを宣言する場所
仏様:陰、母性、包み込む、すがっていい
神様は、厳しい。自分で気づかせるための後押しをする。
仏様は、癒してくれる存在。すがらせてくれる。
陽と陰は
タカミムスヒとカミムスヒ、
イザナギとイザナミ、
というように対になっています。
だから、神社とお寺をセットで参るとよいです。
お寺のほうが神社より「感じやすい」という方も多いようです。
お参りの仕方は
神社では、二拝二拍手一拝
お寺では、一拝
神社やお寺は、神様や仏様と交流するための場ですので、
いずれも、目を開けてご挨拶。
特にお寺では、仏像に仏様が宿るので、目線を合わせます。
たいてい堂内に入れるので、脱ぎやすい靴で行くといいです。
神仏習合と神仏分離に見る神様と仏様との関係
神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは
土着の信仰と仏教信仰を折衷して、
一つの信仰体系として再構成(習合)することをいいます。
飛鳥時代に、外から「仏様」という概念が入って来ました。
仏教はインド発祥。
バラモン教などを取り込んで中国、日本へと渡ってきました。
しかし日本では、土着の信仰=神道 は仏教に取り込まれず、
新しいバランスで共存しました。
日本人は新しもの好きなので、
日本にはちゃんと「神様」がいたのに、「仏様」もウエルカムでした。
そこで、今までいた神様と新しく入ってきた仏様の違いを
「神様は仏様の別の姿だよね」という解釈をしたのが神仏習合です。
この考えは次第になじんでいって、世の中の常識にもなりました。
そしてお寺と境内は同じ敷地に共存していました。
ちなみに「神宮寺」「別当寺」「神護寺」というのは意味は同じで
いずれも神社を守るお寺のことです。
奈良の興福寺と春日大社がこの関係です。
本地垂迹説と神本地垂迹説
本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)の
本地とは、本来のあり方。垂迹とは神仏が現れること。
つまり、仏様が本当で、神様は仮の姿だという説。
飛鳥・奈良時代に、仏教を日本に取り入れるために言い出しました。
神本地垂迹説(かみほんじすいじゃくせつ)は
鎌倉時代の末頃に出てきた考え。
本地垂迹説の逆。
ここで、神の正体とされる仏のことを本地仏(ほんじぶつ)といます。
天照大神の本地仏は大日如来である、というような言い方をします。
が、これはかならずしも1対1ではなく、諸説あります。
権現と明神
「権現」と「明神」も同じような関係です。
権とは仮の意。
権現:仏が仮に(権)神様となって現れること
明神:神様が仮の姿ではなく、明らかな姿で現れること
この呼び方で有名なのは、根津権現と神田明神です。
神仏分離(しんぶつぶんり)
国学は、江戸時代に起こりました。
経典は「古事記」で、本居宣長は「古事記伝」を著しました。
本居宣長の弟子に平田篤胤がいて、明治維新に影響を与えた人物です。
「神仏分離」という考えはここで起こります。
明治元年から何度か、「神仏分離令」が出されています。
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
廃仏毀釈運動は幕末から明治10年にかけて行われた仏教排斥運動のことです。
東北の農村や対馬・壱岐は特に激しかったとされています。
明治政府は、天皇を天照大神の子孫だと考えて、日本を神道の国だと宣言しました。
ここで、お寺を壊せとは言っていませんが、
民衆のお寺に対する恨み・つらみが爆発しました。